( ゚Д゚)<超越論的偶然性

クリナメンという語は突然に現れる。ルクレティウスエピクロス派の詩人〕には見出せるものの、エピクロスの断章にはないこの概念をいったいだれが導入したのかという問題は、専門家に任せておこう。だれかがそれを「導入した」のは、エピクロスの諸テーゼの「ロジック」を省察するにはその概念が不可欠だったからだろう。クリナメンとは、無限小の偏り、「能う限り小さい」偏りである。「いつどこで、どのように」起こるのか分からないが、クリナメンは、一つの原子を空虚中の垂直な落下から「ずれ」させ、ある個所でほとんどゼロに等しい程度平行性を崩し、隣の原子との出会いを誘発し、挙げ句、出会いに出会いを重ねる玉突き衝突を引き起こす。かくして世界が誕生する。世界とはすなわち、最初の偏りと最初の出会いが連鎖的に引き起こす原子の凝集である。
 世界全体の、したがってあらゆる現実性とあらゆる意味の起源が一つの偏りに帰されるということ、〈理〉や〈原因〉ではなく〈偏り〉が世界の起源であるということ、それがエピクロスの大胆なテーゼの鍵である。実際、哲学史において、〈偏り〉は起源であってなにかから派生するのではないというテーゼを、いったいどんな哲学がまともに再考しただろうか。」
ルイ・アルチュセール「出会いの唯物論の地下水脈」)