( ゚Д゚)<メンヘラの力

「しばらく後、伯爵は実際にやってきて、まるでランデヴーに誘ったかのように、エステルのほうに静かに歩み寄った。
 ──長く待ったかい。彼は、あの低く抑えた声で尋ねた。
 ──六ヵ月よ、ご存知のはずよ、とエステルが答えた。でも、きょう、あたしをお見かけになったの。
 ──ああ、つい先ほど市電の中でね。で、君の眼を見ていたら、もう君と話しているようだった。
 ──最後に会って以来、ずいぶんいろいろなことが「起こった」わ。
 ──ああ。それで、僕は、もう僕たちふたりのあいだは終わりだと思ったんだ。
 ──どうして、そんなことを。
 ──君から貰った小物の類いが、どれもみな壊れてしまったんだ。それも不思議なふうにね。でも、これは昔からある見方なんだよ。
 ──ああ、そういうことだったんだ。思い当たることがずいぶんたくさんあるわ。これまで偶然と思っていたけれど。以前、祖母とまだ仲がよかった頃、鼻眼鏡をもらったことがあるの。水晶を磨いたもので、解剖のときなんかはとても重宝した。本当によく出来ていて、大切にしていたの。ある日、祖母と決裂して、祖母は私のことを怒っていたの。
 そうしたら、次の解剖のとき、レンズが理由もなく落ちてしまった。単に外れただけだと思ったので、修理に出したの。でも駄目で、眼鏡としては使えなくなってしまった。抽き出しに入れておいたけれど、どこかに行ってしまったの。
 ──それなんだよ。不思議なもので、眼に関することは何でもずいぶん敏感でね。友人から双眼鏡をもらったことがある。僕の眼にぴったりで、使うのが楽しみだった。ところがその友人とは仲たがいした。別にこれといった理由はなかった、ただ、何となくお互いに意見が合わないという気がしてね。次の時に、双眼鏡を使おうとしたら、よく見えないんだ。双眼鏡の眼幅をあまり広げることができなくて像が二重に見えるんだ。もちろん、眼幅が狭まったと言うわけではないし、僕の眼と眼のあいだが広がったわけでもない。不思議だけれど、この手のことは毎日、起こっている。ただ、観察眼のない者には見えないんだ。説明しろだって。憎悪が持つ心的な力は、私たちが考える以上に大きいんだ。ちなみに、僕が君に貰った指環だけどね、石が落ちてなくなった、修理ができないんだ。駄目だね。僕と別れる気はないか……」
ストリンドベリ『ゴチックの部屋』)