( ゚Д゚)<肉食系黙示録

「たとえば、ビフテキやトンカツや豚汁やサシミや酢のものをむさぼりくらいながら、彼らは、こんな調子で、しゃべりあっていた。
「これは、お前さんのお母さんの肉だぞ。まあ、そうだろ。これはお前さんのお父さんの肉だよなあ」「そんなら、これはあんたの指だな。親指か小指か知らないが。ああ、これは、お前さんの鼻だよな。それから、こっちはこれ、あんたの耳だろうな」「そんなこと言うならだよ。そこまで言っちまうならだよ。これ、これ。こりゃあ君の女房の髪の毛さ。な。それから、これは君の娘っ子の皮、な、カワとスジかも知れんさ」「プフィ。気もちわるいこと言うな。このブツ切りの肉。これこそ君の男根の輪切りでないのかよ。よっぽどよく煮て、アクをぬいたと見えて、いやな匂いがなくなってるけどさ」「結局は、どれもこれも、一条実見の肉、あの宮様アンチャンの死体をたべてるようなもんだよな」「いいじゃないか。食べてやるのが功徳だわさ。だって、奴は食べられることに快感をおぼえていたにちがいないんだから」「要するに、我々ニンゲンは食べるか食べられるか、どっちかでしょう。そうではないんですか。先生」「あら、イヤッ。くすぐったりして。食べるなら、食べるだけやっていてちょうだい」「食べられたい男より以上に、その数倍も数十倍も、さわられたい女がいること、もちろん看護婦諸君をふくめて、そういうオンナがいることを小生は信じてうたがいません」「でも、さわるということはたべるということなんじゃないの。くわえたり、かみしめたり、なめたり、ツバやおつゆだらけにして、呑みこんだり。いやらしい」「いやらしいことこそ、真実なんだ」「そうだ。でなけりゃあ、我ら日本国民が一億火の玉となって総突撃し総玉砕し、サクラバナとして散るはずはないんだ」「あんた、ほんとに散るの。散るつもりあるの」「散ると断言すれば、あんた今晩、愛してくれるのかね。ヤマトナデシコさまよ」「恥ずかしい! 恥ずかしいと我らは感じております。慈愛あまねき甘野院長に、心あたたかい日夜、指導、御指導をあおぎつつあったにもかかわらず、一、一条ごとき、イチイチジョウめの怪死事件と、その五日目に奇しくも、いや、まちがいました、ありがたくもトラック満載とどけられました御下賜品によて、何となく心がわりし下克上みたいになったことをおわびいたします」「おべんちゃらを言うな」「ゴマすりはやめろ」「魚の肉もニクであり、牛豚の肉もニクであることは真実でありますか。班長殿。ニクを食べてニクをつくることは、正しいんでありますか。班長殿。ニクの問題について、もっと突っこんで話しあいたいと思います」「我らはすべてを食べ、すべてを味わいつくし、すべてを消化して排泄せねばならぬのじゃよ」「終末が来ますね。このぶんじゃあ、終末、つまり破局が来るんじゃないでしょうか」「さあ、どうかしら。でも、おなじじゃないんでしょうか」「えッ? おなじって何がおなじなの」「つまり、終末がくれば何もかにもなくなるんでしょう。そんなら来ても来なくてもおんなじみたい」「うるさいッ! オンナどもにしゃべらせるな」「今、問題にしてるのは肉のことなんだ。終末の話なんかじゃないぞ」「でも、もしかしたら、ニクがあるということと終末があるということは結びついているんじゃないですか。私たちにもしニクがなかったら、私たちに終末もないんじゃないかしら」「ニク、ニク、ニク。おっしゃいましたね。肉、肉、肉。たべたがる。さわりたがる。なるほど両方ともニクに関係ありと、当法廷は認めよう。わがフランス革命政府人民裁判所は、とりあえず、そう決定し、ギロチンの刃を貴族ども、とりわけ優雅と艶麗をほこる貴族夫人どもの首に落下させることを命じよう」「もしも、わたくしたちにニクさえなかったら、わたくしたちは罪など犯さずにすんだのよ。ああ。そう言って絶世の美女マリー・アントワネット王妃殿下は、首を切りおとされたのでした」「では、一条の宮妃殿下。中里の宮妃殿下。とりわけ大木戸伯爵夫人の首も、いさぎよく切断することにしますか」「でも、たべたくはないな。彼女たちのニクなんか」「でも、もう食べちゃったのかも知れなくてよ」「はじめに肉ありき」「いや、はじめに脳ありきだ」「では、脳は肉ではないんだね」「いや、ニクはノウではありえないんだ」「だからさ。だから、おれの言いたいのは、我らとしては、もしもニクさえなかったらと言うより先に、もしもノウさえなかったらと、なげかずにはいられないことなんだよ」「肉の開孔部と、肉の突起物のために、乾盃!」「精神と精神病のために、カンパイ!」」
武田泰淳『富士』)