( ゚Д゚)<最後-の-神学

「同じ心を持った、かの訝かしい者たち。自分たちに割り当てられた贈与と拒絶の側へ同じように決断している者たち。存在の真理の錫杖を保持する者たち。その真理の内で、存在するものはあらゆる物と呼吸との単純な本質主宰に向けて建設される。最も静かな静けさの最も静かな証人たち。その静けさの中では、ある聞き取れない突き押し Ruck が、真理をすべての算出された正しさによる紛糾から、その本質の内へと向け戻す。最も覆蔵されたものを覆蔵されたままに保つこと、神々の決断の傍過の震え、存在の本質現成。
 将来的な者たち。すなわち、真理のこの本質をゆっくりと、そして長く聴き従いつつ基づける者たち。存在の衝撃 Stoß に対して踏んばり立つ者たち。
 将-来的な者たちは、かの到来する者たちである。この者たちは、犠牲を捧げるような慎ましさを持ちながら、退路に向かうという仕方で期-待する者たちであるが、この到来する者たちに向かって、最後の神の遠ざかりと近づきの、合図および突発的出現が、到来する。
 この将来的な者たちを準備することが肝心である。性起を黙思することとしての元初的思索は、そのような準備に従事するのである。しかし思索は、少数の者たちが存在の内への跳躍を跳躍的に開くひとつの仕方にすぎない。」
マルティン・ハイデッガー「将-来的な者たち」)