( ゚Д゚)<メタ妄想

「出水はしばらく黙っていたが、なにを思い出したのか、
「時に、君の今のライバルは誰なの?」と、薮から棒にたずねた。
「ライバルって……?」
 御木はとまどった。
「君の生涯のライバルさ、仕事の上の。」
「ああ……?」
 御木は虚を突かれた思いだった。
「つまり、君の作家仲間の好敵手とか競争相手とかだよ。」
「ないね。僕らの仕事は勝負もないし等級もないからね。」
「そんなことは僕も英文科の教師だからわかっているが、君たちの世界だって生存競争はずいぶん激しそうじゃないか。」
「少しも激しくないさ。生存競争なんてありゃしないよ。僕はそんな競争をしたことがない。高等学校の入学試験以来、僕は誰ともなんの競争もしたことがないようだ。入学試験は、これは競争試験だからしかたがないが、相手が誰とはっきりしてないから罪が軽いだろう。その時から後、人と競争したおぼえはないね。」
「君がそう思っているのなら、しあわせだが……。」
「幸か不幸か知らんが、そうだな、君に言われてみると、ありがたいことかもしれないね。」
「ありがたいことだよ。生存競争を自覚しないというのは、まあ成功者の太平楽なんだろうが……。君は才能もあるし、個性もあるから……。」
「ある方じゃないね。勤勉なだけなんだろうと思うんだ。天才とは勤勉だというようなのではなく、凡才の勤勉なんだな。しかし人の才能を嫉妬したり羨望したりすることはないね。そういう必要がない。他人の仕事に素直に感心することが、僕たちの勤勉のもとなんだね。英文科の主任教授が一人で、助教授が二人というようなのとは違う。」
太平楽だね。」と、出水は口をゆがめて苦笑した。「自由職業にもやはり職業病があって、君のようにどこか麻痺するんだろうね。」
「麻痺って……? 好敵手か競争相手があるかと聞くから、心あたりはないと言っただけじゃないか。君はそれを信じないの?」
「信じないと言うのでもないが……。君は競争も嫉妬も羨望もないとすると、人にたいして敵意も憎悪も感じないかね。」
「感じないな。」と、御木はまた立ちどころに明るく答えた。「特定の人にたいして感じることは、まあないね。」
「ふむ。それはさびしいだろう。人を憤ったり憎んだりすることは、人生のいいことだがね。」
「人を憤ったり憎んだりすることは、確かにいいことだろう。敵があるというのはね……。しかし、それがないからと言って、別にさびしいとは思わないな。ないからこそ楽天的でいられるらしいんだ。厭世的でないのはむしろ僕の欠陥じゃないかと考えているんだが……。」
「欠陥かもしれないよ。厭世的か楽天的かの別れは、そんなことにはないだろう。君のはやはり一種の麻痺だな。被害妄想の反対の妄想じゃないのか。」
「さあ、妄想とすれば、妄想がないのが妄想かね。」」
川端康成『ある人の生のなかに』)